孤独の洞窟

冴えない人間の終わらない日常

第6回 『気持ち悪くて何がわるい』

どうも、こんにちは。このブログでは生きづらい今の世の中を
今の私が感じたことを思いのまま記しているブログです。

今回のテーマは『気持ち悪くて何が悪い』です。

『気持ち悪い』それはとても強烈な言葉で、その言葉を他人に
発言すれば相手に一生癒えない傷を与えることも可能であり。
また、その言葉を浴びせられたときは二度と立ち直れないよう
な深手を負うこともありうるとても強烈な言葉です。

しかし、この『気持ち悪い』は意外と日常にあふれており、
男女問わず『キモッ』とか『気持ちわりぃ~』などと言う言葉
は身の回りでもよく聞くような気がします。

自分自身でも『ああ、何か今の自分気持ち悪いな』と思うこと
がたまにあります。

そんな世の中で自尊心が低い人はこの『気持ち悪い』に過剰に
反応する傾向があるようです。かくいう私もこんなことを面と
向かっていわれたら3日ほど引きこもりたくなるに違いありま
せん。

それで今回私が申し上げたいことは、『人間っていうのは誰
でも何かしら気持ち悪い部分を持っている』ということなの
です。

たとえば世間的にも歴史に名を遺すような大きな功績を残し
た人たちも人々が羨む側面もあれば、何か気持ち悪いなとか
変な人だなと思いたくなるような側面を持ち合わせているこ
とも多いようです。

たとえばアップルコンピュータ創始者であり、コンピュー
タの一般家庭への普及へ大きく貢献したスティーブ・ジョブズ
は若いころ長い間風呂に入らない生活をしていたようでその当時
の彼は常にまわりに異臭を漂わせており社員からは迷惑がられ
ていたそうですし、

『人間不平等起源論』『エミール』などの著作を残し、『社会
契約論』がフランス革命に大きな影響を与えたとされる。
ジャン=ジャック・ルソーは露出癖があり彼の自伝『告白』
の中に「私は夜に自分の下半身を女性に見せて楽しんでいた」
というような告白をしているそうです。

こういういわゆる偉人と呼ばれる人たちの変なところ、欠点など
を知ることによって「なんだ、彼らも人間なんだ」と思えてくる
かもしれません。

もし自分のこんな部分が嫌だとおもっている人は一見完璧に見え
る人でも何か欠点があるのだということを知れば生きてゆくのが
少しばかり楽になるかもしれません。

 

第5回 『やさしい人間になりたい』

皆様、こんにちは。キルケです。

皆さんは将来、自分がどんな人間になっていきたい
とかいう目標みたいなものはありますでしょうか?

頭が良くなりたい?お金持ちになりたい?有名にな
りたい?

そんな中、私自身は『やさしい人間になりたい』
という漠然とした目標があります。

でも、そもそも『やさしい』って何なんでしょうか?

どんなときにも怒らないこと?頼み事を何でも聞いて
くれること?困っている人を放っておけない人?

何となく良いイメージを持っている『やさしい』です
が、『やさしい』の良くない部分も世の中ではあると
思います。

例えば恋愛のことで言うと、よく『やさしいだけの男
は恋愛対象になりずらい』という意見を聞いたりしま
す。

私はアニメが好きなのですが、2015年に放送された
響け!ユーフォニアム』というアニメがあります。

そのアニメの中で『やさしいなんて他に褒めること
がないときに使う言葉だよ』というようなセリフが
出てきます。

また、2013年に放送された『進撃の巨人』というア
ニメがあるのですが、その中で『いい人(やさしい人)
っていうのはその人にとって都合のいい人のことを言
うんだと思う』と作中の登場人物がつぶやくシーンが
あります。

こうなってくるとこの『やさしい』というものは
とてもつかみどころの無い存在のような気がします。

私にとって『やさしい人間』と聞いて思い浮か二人の
人物がいます。その人物の名は月城雪兎木之本藤隆
です。

この二人は1998年から放送されていた『カードキャプ
ターさくら』というアニメの中の登場人物です。

月城雪兎(つきしろゆきと)は主人公である木之本桜
が想いをよせる高校生の美男子です、中性的な容姿で、
勉学も運動も特異な優等生です。いつも柔らかい笑顔
で主人公の桜を見守ります。

木之本藤隆(きのもとふじたか)は桜のお父さんで、
彼もいつもにこやかに微笑み、仕事、家事をそつなく
こなす万能な人間として描かれています。

私は1991年生まれなのでこのアニメを見たのは7歳の
頃ということになりますが、当時からこのアニメを見
ながらこんなやさしい人間が世の中にいるのだろうかと
思ったのを覚えています。

それから、中学、高校、などと成長するにつれて人間
というのは常に良い部分と悪い部分が一体となって存
在しているのだと思うようになりました。

いつも優しそうな人も、キレたり、人を妬むこともあ
る。またいつも怖そうな人でも、ふとした瞬間にやさ
しさが垣間見えることもある。そう感じるようになり
ました。

それでもやはり私は何となく『やさしい人間』になり
たいと思うことがあります。

思慮深く、忍耐強く、人の話を聞き、周りの人々に感謝
し、お互いの事を尊重できる人間になりたいと思ってい
ます。

それは私自身がそういう人間ではないという自覚のもと
そういった思想に至っています。

自分の欠点を自覚しながら努力してゆきたいと思います。

 

第4回『好きな物は映画です』

どうも、こんにちは、皆様いかかがお過ごしでしょうか?

キルケです。

今回は私の好きな物について語ってゆきたいと思います。

私は映画が好きです、私は映画が大好きです。

映画は私に感動を与えてくれます。私に生きる力を、私に怒りを、
私に恐怖を、私に笑いを届けてくれます。

映画を観るということは他人の人生を疑似的に生きることだと思い
ます。映画を観ることによって、世界が広がり、新しい知識が増え、
新しい物の見方がつきます。

また映画を観ることによって、死、命、戦争、宗教、社会、国家、
生きる意味、愛、友情、人生などを考えるきっかけを得られること
もあります。

映画を観ることによって心は動き、精神の死をまぬがれることができ
ます。

私は長いあいだ、他人を信用できない人生を送ってきました。
今でも父は私の目を見て話を聞いたり、話したりはしてくれませんし
母も真剣な話をしようとするとはぐらかされて話を聞いてはくれません。

悩みを相談できる、友人、知人、上司、部下、恋人などもおらず。
そういう関係を構築する方法も知りません。

そういう人生を送ってきた中で芸術だけは人の心に寄り添うことができる
のではないかと思うときがあります。

自分が元気がない時、落ち込んだ時、憂鬱な時も映画は私の心を少しだけ
満たしてくれるような気がします。

私が一番最初に劇場で観た映画はおそらく1998年公開の『劇場版ポケット
モンスター ミュウツーの逆襲』だと思います。

その証拠に今でも我が家の本棚にボロボロになったパンフレットが残って
いるからです。

そのポケモンの洗礼を受けてから私は『世の中にはこんなにも面白い物が
あるのか』と衝撃を受けました。

テレビアニメ『ポケットモンスター』は子供向けのアニメですが、私が
見た『劇場版ポケットモンスター ミュウツーの逆襲』は少し大人な内容でも
ありました。

すでに視聴した方なら解ると思いますが、この『ミュウツーの逆襲』には
『私たちはなぜ生まれて、何処へゆくのか』といったような小学生向けアニメ
としては難解なテーマが垣間見えます。

この普遍的でもあるテーマに当時全ては理解できなかった私も何かすごい
ものを見たような気がするといった感覚を持ったことは今でも覚えています。

私はその初めての映画体験で完全に映画の魅力にはまってしまい、それからの
映画好き人生を歩んでゆくこととなります、また『劇場版ポケットモンスター
ミュウツーの逆襲』はアニメ映画であり、アニメへの興味もそこで授かること
となりました。

そこから私は生きている人間よりは画面の向こう側の人物たちが心の拠り所と
なる人生を歩んでゆくわけです。

 

第3回 『基本的に他人は信用できない』

どうも、こんにちはキルケです。

現在進行形で「世の中生きずれぇなぁ~」と思いながら日々を送っている
冴えないもうすぐ三十路の男です。

それで、どうしてこんなにも人生生きずらいと思っているのかを考えて
みたところ、その数多ある原因の一つに「他人を信用できない」という
事実があるとおもうわけです。

皆さんはどうでしょうか?たとえば今、皆さんがつるんでいる友人、
恋人、家族が自分の事を好いていると本気で言えるでしょうか?

それは皆さんが勝手に妄想していて本当は自分のことなどどうでもいい
存在だと思っていると考えたら怖くないですか?

どうして私がこんな偏屈な思想に取りつかれているかと言いますと。
それは私が小学3~4年生のころまでさかのぼります。

当時の私は自分で言うのも何ですが、とても無垢な存在であったと
自分では思っています。世界というものは美しくて、ワクワクして、
楽しいものであると。しかしそんな頭の中がお花畑の私の思想に
脅威が訪れます。

突然ですが皆さんはジャック・フィニィの『盗まれた街』という小説
をご存じでしょうか?

内容を簡単に説明しますととある小さな町で自分の身の回りの人々、
友人、家族、近所の人々が知らない間に人間ではない何かに体を乗
っ取られてしまうという話です。

この小説を元にしたドン・シーゲル監督の『ボディ・スナッチャー
/恐怖の街』という映画も製作されており、さらに同じ原作で何度か
映像化もされています。

話を過去に戻すと、その私が小学低学年のころ私は周りの人々のある
変化を感じ初めました。『○○君って気持ち悪いよね~』『○○ちゃん
って変な臭いするよね~』とそんな影口をいうクラスメイトを見て
しまったのです。

その当時の私は自分も、クラスの皆も真っすぐで裏表のない人間であると
思っていました。

それがどういう訳か周りの人たちが自分の知らない間に何か汚れた存在に
なってしまったような気がしたのです。

今、当時の事を振り返ると、確かにそのくらいの子供というのは悪知恵も
働くようになりますし、かわいいだけではなく生意気なところも多少はで
てくるということも理解できます。

ただその時の私はそんな影口、告げ口、噂話が蔓延っている我が世界に
違和感と恐怖を覚え、しだいに今、目の前で話をしているクラスメイトも
私がいない間に私の悪口を言っているのではないかと疑心暗鬼になりまし
た。

不安は日に日に強くなっていきましたが、小学3年生の未熟な私の脳みそ
では目の前の不安を処理することができなくなりました。

そんな体験を大人になるまで引きずってしまい、今日に至るわけであります。

成人してからしばらく経っても、まず自分に近づいてくる人には警戒心の方
が働くような感じでした。つい「この人が私に近づく目的は何だ?」と考え
てしまうのです。「何か私を利用しようと考えているのではないか?」
「私に近づいてもメリットはないぞ」と身構えてしまうのです。

そんな私も今ではだいぶましになりました。相変わらず友人はいないですが
「まぁ、いなくても死にはしないし」と思うようにし、仮にすぐ別れてしま
う未来があったとしても、自分と縁を結びたいという人がいればとりあえず
受け入れることにしようと思っています。

人生は時に前向きにとらえなければなりません。本当にどうしようもない
事態が起きてしまった時も最後に頼れるのは自分しかいない。そんな気持ち
で生きていた方が私は良いと思います。

 

第2回 『死に至る病』

このブログにて私は何と名乗ればよいのかを考えました。

このブログでは主に日々感じている自分の生きずらさに関しての文を
書いていこうと思っているので。それに関係する名前を考えます。

今回のタイトル『死に至る病』とはデンマークの哲学者、
セーレン・キルケゴールの著作のタイトルです。

この『死に至る病』という文が気に入っていて何となく覚えていた
のでタイトルに使うことにしました。

キルケゴールニーチェと並び「実存哲学」の祖とされています。

このセーレン・キルケゴールから名前の一部を頂き、このブログ
では『キルケ』と名乗りたいと思います。

キルケゴールの研究していた実存哲学とはものすごく要約すると

『万人に受け入れられる真理より、自分自身にとってかけがえの
ない真理のほうが、自分という存在にとってはより大きな意味が
ある』というものです。

これをまた自分なりに噛み砕いてみると、
『大多数の人が良いと思っているものよりも、自分自身が本当に
良いと思っているもののほうが、自分自身の人生にとってはとても
需要なんだよ』ということなのかなと思いました。

幼少のころから自分は何だか他の人とは感性が違うのかなと思い
悩むことが多々ありました。父はアニメや漫画をバカにし、ドラマ
や映画のほうが格が上のように思っている節があり、社会の風潮で
はアニメが好きな人は人格異常者か変態と思われているととられる
ような構成をしているテレビなどもあります。

またホラー映画は偏見が多く、ホラーというだけで何だか低俗な物
として見られていると感じることもあります。

そんな中でも自分の好きな物はやっぱり好きと言える心、考えが
自分の人生にとってはとても価値があるんだよとこの『実存哲学』
を知ったときに何だか励まされた気がしました。

人生を乗り切るためには哲学も悪くないなと私は思いました。
もしこのブログを見た方がいれば哲学の入門書をてにとってみる
のも良いのではないでしょうか?

最後にタイトルの『死に至る病』とは『絶望』のことだそうです。

確かに絶望することが死に至るほどの脅威となるというのは近年の
若者の自殺率からも容易に想像できるように思えます。

私も皆さんも絶望せずに強くなくても生きてゆきましょう。

 

 

第1回 生きてゆく意味とは

人生、生まれてきたからには何かしら他人の役にたつ人生を
送りたいと思う。

しかし、ふと自分の毎日を振り返ってみると私は本当に他人の役に
たつ人生が送れているのか疑問に思うことがある。

そして不安になる、何だか理由はわからないが、いいようのない
根拠のない不安、私などはこの世の中に必要ではないのではないか
と。

幼少の頃の私は無垢であった。

世の中というものは毎日楽しいものであふれていて、美しく、
すばらしいものであると信じていた。

そうした私の心に曇りが出始めたのはいつからだろう?

私はいつから変わってしまったのだろうか?

ああ、もどりたい、あの頃にもどりたい。
何もかも美しく見えたあの頃に戻りたい。

私は前に進みたくない。